1970年代後半、海外から持ち帰ってきた感性と技術をもとに、「ヘアデザイナー」という呼び名と概念を生み出し、日本オリジナルのヘア&ビューティー・シーンを作り上げてきた先駆者の1人、八木岡 聡さん。
このスペシャルインタビュー・シリーズでは、主に“自分自身が外的要因によって変身し、様々なシーンで活躍するクリエイターたち”にフォーカスしてきました。しかし、八木岡さんはその逆です。ヘアデザイナーとして45年間に渡って、数多の人々を“なりたい自分”へと変身させてきました。今回は、そんな“日本ヘア&ビューティー界のレジェンドのクリエイティブを支える原動力”と“変えることの魅力”、そしてそこから導き出された“プロフェッショナルの仕事論”にスポットライトを当てていきます。ぜひ最後までご覧ください。
“変身!”というキャッチフレーズで知られる、仮面ライダー作品。その場のなりゆきや外的要因により戦う宿命を背負わされる主人公たち。彼らが不安や葛藤、挫折を味わいながら、次第に自分の中で覚悟を固めていく内面の変化こそ、仮面ライダー作品が持つ"タイムレスな価値"と捉え、服に袖を通す日常の過程で少しずつ自分をアップデートできる服を目指し、ファッションという切り口で「仮面ライダー」を再解釈・デザインするファッションブランド。
“若い時分に刺激を受けて抱く変身願望は、大人になった時に成長願望に変わり、新しい自分作りだったり、出会いだったりと自分自身を作りあげていく原動力になる。”

ーまずはファッションについてお聞かせいただきます。黒ベスト&白シャツ姿は八木岡さんの代名詞となっていますが、これはいつ頃から?
今のスタイルに行き着いたのがココ10年の間で、クリーニング屋さんに出して、仕上がりの連絡をもらう際にも「ご主人のユニフォームが上がりましたよ」と言われるくらい、常にこれです。多分、バーテンダーに思われているのかしれません(笑)。どんなファッションを通ってきたかを知ることは、その人の歴史を知ることでもあります。僕の場合だと70年代はイッセイ・ミヤケ、80年代はコム・デ・ギャルソン、ヨウジ・ヤマモト、ジャン・ポール・ゴルチェ。その後の90年代からマルジェラ…ときて、今に至っています。大人になるとキチンした部分や清潔感も意識しなければいけない。またDaBには幅広く色々な客層の方がいらっしゃります。老若男女はもちろん、ものすごくエッジの効いたファッション感度の高い方から、僕が担当させていただいているところで言えば、皇族の方まで。そういった時に、ある程度キチンとした姿をしてないことで「恥ずかしい」とか「ちょっと場違いだったな」という思いをしないようにというのが、僕の今のファッション感を作っているといえます。また、このユニフォームに袖を通した瞬間、自分の中でのスイッチが入る。そう考えると、まさに僕にとっての変身ですね(笑)。
―お話が挙がったブランドからも、ファッションやモノ選びに対する強いこだわりを感じますが、そこから行き着いた現在のスタイルからはアノニマス(匿名性)な印象を受けます。
たしかに、なるべく余計なものを取り除くようには意識しています。これは服の存在よりも、それを着ている僕の“自分らしさ”を大事にしているからです。
―では、ファッションはご自身にとってどういうものであると考えますか?
“カタチ”っていうものに囚われず自分自身を作っていく。ファッションやヘアスタイルは、この僕自身の生き方や考え方の元にある、とても重要な要素だと考えています。自分がどういった人間で、どんな人間を目指しているのか。そういった、その人自身から発されるメッセージや声、叫びが込められていて、それを外に向けて発信することで他者から見た、その人自身の存在やイメージを作りあげていく。それが僕にとってのファッションだと思います。
―その人自身のパーソナルな部分を映し出す鏡であるということですね。多くの人々がそういった意識を持ち出すのが思春期であり、八木岡さんが思春期真っ只中の1971年に放送開始されたのが、初代『仮面ライダー』。当時のことって覚えていらっしゃいますか?
まず、それまで人間よりも巨大なヒーローが多かった中で、等身大のヒーローというのが衝撃的でした。そして“変身”というワードが生み出す、夢やワクワク感といった憧れ。仮面ライダーという存在は、その象徴として、当時の子供たちに受け入れられたのだと思います。
―八木岡さんにとってのヒーローとは?
大人と子供では“ヒーローに出会う”という意味が全然違うと思うんですよね。想像力に溢れた子供時代は自分自身のモチベーションを上げる1つの源だったのが、だんだん成長していく中で、ヒーローへと近づくのか、変身ができないことに気付くのか、2つに分かれる。変身とは本来、“自分ではない何かに変わる”という意味ですが、それを僕自身の経験から別の言葉に置き換えるならば、“成長”だと思うんです。若い時分に刺激を受けて抱く変身願望は、大人になった時に成長願望に変わり、新しい自分作りだったり、出会いだったりと自分自身を作りあげていく原動力になる。ヒーローとは、そういった新しい自分への夢を抱かしてくれる存在じゃないかなと思っています。

―八木岡少年にとって憧れのヒーローは誰でしたか?
『仮面ライダー』と同じ石ノ森章太郎さんの作品でいえば、小学生の時に出会った『サイボーグ009』。サイボーグという人間を超えた力を持った存在というのが、子供の自分にはとても衝撃的でした。僕も人種や国を越えて様々なものを見てきましたが、やはり強さ、賢さ、速さ、美しさというのは、人が全世界共通で憧れるものなんですよね。そういった要素を備えたヒーローたちが活躍する姿に、想像力を掻き立てられていたのだと思います。
“新たな自分自身との出会いは、人として生きていく上での喜びであり楽しみであり刺激的なもの。それを叶えることができるのが、”変える”ことの魅力。”
ーたしかに同作には、今挙げられた要素が全て盛り込まれています。これまでこのインタビュー・シリーズには、自分自身が変身する側の方々が主に登場してきましたが、八木岡さんはヘアデザインという外的要因で人を変身させる側です。”変身=変える”ということの魅力を教えてください。
これまでの自分とは違った、新たな自分自身との出会いというのは、人として生きていく上での喜びであり楽しみであり、それこそが生きることの素晴らしさである。それを叶えることができるのが、“変える”ことの魅力ではないでしょうか。
ーその願いを叶えてあげられるのが、美容師という職業ということですね。
ヘアデザインを通じて、お客様1人1人を変身させる。これは、新たに魅力的な人を作ることでもあるし、そのままでも素敵な人には、「今のあなたでイイんだよ」と肩を押してあげることでもあります。我々の仕事は技術とセンスでお客様を変えていくのですが、その時に大事にしているのが、“ヘアデザインだけでなく、その人という存在を作っていく”ということです。お客様自身が何十年も人生を重ねていく間に、色々な自分の変化を見ることができるように貢献しているのではないかなと思っています。要は、その人自身の人生をデザインするということです。
―美容師という仕事は華やかに見えますが、努力は人を裏切らないという職人的な部分もあると思います。
そうですね。マーケットやトレンドの変化は色々とありますが、自分自身が何年もかけて身に付けた技術は裏切りません。ただ、それを活かしつつ自分だけのセンスでお客様に喜んでもらえるヘアを提供できるか。その辺は人を見る目や、時代を読む目が必要にはなってきます。

―ご自身のキャリアを振り返ってみて、人生が大きく変わったタイミングはいつでしたか?
いくつかありますが、まずは美容師という職業を選んだこと。高校を卒業して、ファッションデザイナー、パティシエ、美容師。この3つのどれかになりたいと考えた時に、「頑張ったら何か1つの才能を身に付けられる仕事ってなんだろう?」と考えて美容師を選びました。ですが当時は、男性が美容室を訪れる時代じゃなかったし、僕自身も行ったことがなかった。そういった意味では、未体験の場所で働くという選択をしたことが1つ目ですね。2つ目が1978年の渡米。当時は1ドルが280円で、1ヶ月間で日本の5年間分の給料が飛んでいく時代。そんな中で、初めての飛行機でロサンゼルスのビダル・サスーンに留学。そこで美容の仕事以上に、 アメリカと日本とのカルチャーの差に刺激を受けました。その次が1989年で、再び渡米してニューヨークへ。そこからフランスのパリと約6年間の海外生活中に、ファッションショーやオペラ、映画など色々な仕事に携わりました。アフリカのチュニジアにも1年間くらい滞在し、映画の撮影でサハラ砂漠に11ヶ月いたことも。それぞれの国で、貧しい人たちを見たり、厳格な宗教世界に身を置いたりする中で、人それぞれの価値観について考えたり、沢山の刺激を受けたというのが自分にとって大きな経験になりました。
―ヘアデザイナーという呼び名と概念を生み出し、1983年に”ツーブロックヘア”を考案したのも八木岡さんだそうですね。
当時、イギリスのパンクロック・ミュージックの影響で、ごく一部の過激でコアな若者たちがモヒカンヘアをしていたのですが、パンクの人気が次第に廃れていく中で、モヒカンを立たせずに寝かせる人が増えてきたんです。その際に、トップ部分とサイド部分をシームレスに繋げなくてもアリということが判明し、そこにモード系の子たちの間で注目されていたテクノヘアの刈り上げが合体したのが、いわゆるツーブロックヘアです。当時、SHIMAのクリエイティブディレクターだった僕が、それをニューヘアとして発表したことで、1つのヘアデザインとして認知されるようになりました。なので、まったくのゼロからではなく、外から得た情報を自分なりに解釈して、オリジナリティのあるものに仕上げたということですね。
―そうやって自分が発信したものが広く認知されるサンプルケースの存在は、後進たちにとっても”なりたい自分”になるための大きな励みになるかと。八木岡さんは、”なりたい自分”になるためには、何が必要だと考えますか?

―ご自身はブレない自分を、どのようにして手に入れたんでしょうか?
ずっと信念を持って自分のやりたいことをやってきているので、確かにブレてないんですよ。美容師の世界では、“志と覚悟が大事”という言葉があります。どうなりたいかのイメージは志次第ですし、ブレずにいるためにはしっかりと覚悟を持って、自分の生き方に責任を持っていく必要があります。たとえ時間がかかる目標でも、それに向かって進んでいかないと“なりたい自分”に近づかない。やはり、そういった部分を意識しながら、いかにブレずに自分作りをしていくか。
“スタッフが成長(=変身)したと感じる瞬間、お客様に「変身した!」と感じてもらえた瞬間に勝る喜びはありません。”
―環境は時代の移り変わりによっても変わりますよね。昭和から平成、そして令和となった今、八木岡さんはどんな部分に変化を感じていますか?
やはり2000年以降の変化は大きいと思うんです。18世紀以降、3度にわたって時代が大きく変化するタイミングがありました。1800年代前半に起こった第一次産業革命、1900年代初頭の科学の進化、1970年代のコンピューターの誕生。そして、パソコンや携帯電話を中心としたデジタルのネットワークにより、これまでの常識とは異なる新たなカルチャーが形成されたことで、世代間での価値観の相違なども生まれている現代は、第四次産業革命にあたるといいます。そういった大きな変化の渦中にいると考えるならば、新たな発想でツールを作り出したり仕組みを考えたりと、誰もが挑戦することのできるフェーズなんじゃないかなと。
―八木岡さんは、そういった変化を楽しむタイプなのかなと。
はい。これまでもめちゃめちゃ変化を楽しんできましたよ。変わらない時代なんて全然面白くないですしね。仕事で20歳くらいのアシスタントたちとチームを組んでいるので、常に若い世代と出会うわけですが、またその子たちが成長して技術者になっていく。それが1つの喜びでもあると同時に刺激となり、自分のクリエイティブを支える源になっています。そうやって若い世代たちと共に作り上げていくことが大好きですし、そういう仲間作りも含め、とても大切だと考えています。

―若い世代のスタッフやお客さんとの、世代間での感覚のズレを感じることは?
彼ら・彼女らと100%同じ感覚でいられるかと問われたら違いますし、そうなろうとも思っていません。ただ、アイデアや技術、時代を読むセンスを持ち合わせていて提供できる自信はある。そうやって僕から与えてあげられるモノがあるということだけ。そういった意味では“尊敬や憧れ”を作り上げないといけないと思っていますし、世代が違っていても発想や考え方を受け入れる姿勢は大事にしています。
―以前、”3つのデザイン(形・時間・心)×3つの探る(魅力・素材・変化)”についてお話しされていたインタビュー動画を拝見しましたが、とてもロジカルで興味深いものでした。ご著書『HAIR DESIGN 7×7 デザインの方程式』にも、その辺りが記されているんでしょうか?
内容としては、ヘアデザインを理論化してセンスを体系化したものです。僕自身、ヘアスタイルだけでなく家具など様々なものをデザインしてきているので、建築的発想で思考し、どういった部分を見ながら、その人に合うようデザインしてバランスを作っていくのか。これまでの技術本や作品本では触れられていなかった部分をまとめています。キャリア5年の人、10年の人、20年の人。読者それぞれがそれぞれのタイミングで1つのアイデアソースとして捉えて、自分なりのやり方をまとめる1つのキッカケやヒントになる。そうやって自分自身の仕事を確認する上で活かせるものとして作った本なので、ただ読んだだけでセンスが良くなるわけではありません。
―今、自分がどこのレベルにいるのかというステージを確認するものということですね。では、八木岡さんの考える、理想のヘアサロンとは?
美容師に大事なのは、やはり1番目にセンス。そして2番目に技術、3番目が知識です。この3つをバランス良く持つこと、身に付けること。そのためには、それらを身に付けられる環境にいることも大事です。大勢の仲間と切磋琢磨して働くことで、その3つが刺激されスキルアップする。これが理想のヘアサロンだと思っているので、DaBは僕自身の夢というよりも、働いてくれている若いスタッフたちの活躍と成長の場としていきたいし、そういうサロンでありたいと常々思っています。
―そのうえで、ヘアデザイナーにとって一番必要なものとは?
僕自身、ヘアデザインを通じてお客さんのパーソナルな部分に繋がる美容師・ヘアデザイナーとしての仕事と、インダストリアルプロダクツのデザイナーという不特定多数の人々に対するマスプロダクションなもの。その両立によりクリエイターとしてのバランスを取っていると思っています。そのどちらか一方で受けた刺激、得られた知識や情報が、またもう一方に影響を与える。そういった考え方が僕のサロンワークを支えていると思うんですね。それにサロンワークは、長く続けていないと分からないことも多いんですよ。ヘアデザインの瞬間的な評価だけでなく、“人をデザインする”ということは、時間の経過をも考えなくてはいけません。その人自身のライフスタイルに合うか(フィット感)、自分でもセットが可能か(再現性)、持ちがいいか(キープ力)、 そういった複合的な要素が要求される。若い自分はその深いところまで至らず、表面的な部分しか見えていなかったりすると思うんです。それが経験値を重ねていくことで、相手によって変えつつ、的確なサービスを提供できるようになる。そうなって初めて、プロのデザイナーの”仕事”だと僕は思っています。
―なるほど。こちらもインタビューで仰っていた、「ゼロからデザインするのではなく、自分の持つパターンを軸にデザインの引き出しからお客さん一人一人にあったデザインを考える。それこそがヘアデザイナーの仕事の仕方だと信じている」とも通ずるお話しですね。
仕事において、個性=パターンなんです。僕自身の中でも、「こういうファッション観の、こういうお客様にはコレ」という自分のパターンの引き出しを無数に持っているワケです。その中から的確に選んで当たりをつけて、本人の顔立ちや格好など細部を観察しながら、その時の本人の気分と擦り合わせて完成を目指すという感じで。
―改めて、美容師という職業についてどう感じていますか?
とても素晴らしい仕事だと思います。これだけ長く続けていても楽しく、自分自身が心地良くいられる。これってすごく幸せなことですよね。もちろん、僕自身が仕事を好きになる努力、嫌いにならない努力をしてきたってのもあるかもしれません。沢山の人と関わるということは面倒な面もあります。でもそれ以上に、スタッフが成長(=変身)したと感じる瞬間、お客様に「変身した!」と感じてもらえた瞬間に勝る喜びはありません。それを積み重ねていくことで、たとえ大変な思いをしても「自分の好きな仕事だ」と確信を持てるようになる。僕は心から、この仕事に出会えて良かったと思っています。
“「スパイス」と仮面ライダーのファーストインプレッションにあった不思議なインパクトは通ずるなと。”
―サービス業とクリエイター業、その両方のバランスの取り方がフレキシブルで素晴らしいなと感じました。フレキシブルといえば、平成以降の仮面ライダーシリーズにおける大きな特徴として、敵やシチュエーションに合わせたフォームチェンジがあります。今回、DaB監修でアリミノとHENSHIN by KAMEN RIDERによるコラボレーションで開発されたのが、『仮面ライダー電王』をモチーフとしたヘアワックス。主人公がイマジンに憑依されることで、ヘアスタイルだけでなく表情や口調、性格までガラッと変わるという設定とプロダクツが見事にリンクしています。
ベースとなっている「スパイス」は、2000年にプロフェッショナルユースのスタイリング剤として誕生し、スーパーヒットした商品です。発売当時は、どちらかというとニュートラルであまりデザインされていないシンプルなものがプロフェッショナルユースには良いとされていて、市場に面白いと思えるモノが存在していませんでした。そこで、“プロが求める効果を最大限に楽しいデザインへと落とし込む”というコンセプトで、僕がアリミノさんと一緒に開発したものです。

―今回このコラボレーションの話がきた際に、どう感じましたか?
仮面ライダーは元々、バッタの能力を持った改造人間じゃないですか。我々が作った「スパイス」も、元々はオリビエというフランス人彫刻家の作品の顔にカツラを被せたところからデザインしていったんです。人間でもなくロボットでもなく、人種も性別も年齢もボーダーレスで、色んな人々に共感してもらえるようなデザインを落とし込むというスタンスで。そういったものは、初代仮面ライダーのファーストインプレッションにあった不思議なインパクトにも、改めて通ずるなと思いました。
―今見ても、インパクトがありながらも説明的ではないと直感的なデザインが新鮮です。
そこは“五感を刺激するデザイン”を意識しているから。まず1つ目は視覚。たとえ言葉が通じない国の人にもイメージできるようにどう仕上がるのかをパッケージにイラスト化。同時に中身の色もカラフルに。これは美容師さんが間違えて使ってしまわないようにする工夫です。2つ目は嗅覚。香りもデザインするという考えで、フルーツ系の香りの中から、当時まだ珍しかったペアーミント(ラフランス)を選びました。この新鮮な香りの体験もヒットした理由と考えられます。3つ目が聴覚。同シリーズのスプレーはフタの開閉の際に、カチンと音が鳴るように作ってあります。この試みは当時、業界新聞のトップ記事を飾りました。これには、バッグに入れて持ち歩いていた際に、勝手にフタが外れて中身が噴出することを防ぐという利点も。中身、形、ルックスに加えて、機能の追求というのも重要なポイントです。4つ目の触覚でいえば、伸びが良くて、ハード系でも手を拭くだけで洗わずに済むというクリーミィーな滑らかさ。これもまた使いやすさにも繋がる画期的な部分です。最後の味覚は、味の文字を変えて”美”覚にしました。使いやすさ、ホールド感、キープ力、操作性にこだわったプロスペックであることを表しています。

―八木岡さんがデザインに関わるものは、優れたデザイン性を備えつつも、ユーザーフレンドリーであるというのが特徴だと感じました。この中身は、モモタロス、ウラタロス、キンタロス、リュウタロスで全部同じ種類なんですか?
すべて同じハードワックスになっています。シリーズの中ではホールド感が2番目に強く、多様なヘアスタイルに対応するので男性が使いやすい万能タイプといえますね。先ほどの視覚の話でいえば、このケースも面白いんですよ。外周がクリアになっているのでフィルム部分の赤が反映されるという。あとは…そうそう、ワングリップで開け閉め可能という、触覚の部分もポイントです。
ヘアデザイナーという職業はクリエイティビティが必須であるがゆえ、感性のみを頼りに感覚的に生きている人々が多いと思われがちです。しかし、今回のインタビューで八木岡さんから発せられた言葉の数々から感じられたのは、ロジカルな思考とシーンを切り拓いてきた先達ならではの深い含蓄。とりわけ印象深かったのが“変身とは成長である”という考え方です。様々な人生経験を積み、日々を生き抜く中で、“変わる”ことで理想の自分を構築していく。世の中の多くの人々にとっても馴染み深いアリミノの「スパイス」と、同じく世代を超えて愛されている仮面ライダー。その両者を繋げる八木岡さんとの三つ巴のコラボレーションにより誕生したヘアワックスは、今後さらに多くの人々を、“なりたい自分”へと変身させていくに違いありません。
株式会社DaB(ダブ)代表/株式会社ビタミンズ代表。神奈川県出身。山野美容専門学校卒業後、SHIMAにてヘアデザイナー/ディレクターとして活躍。'89年渡米、’93年渡仏。'95年にDaB daikanyama hair salonを開設。'97年にDaB MIX hair salonを開設。'98年にDaB design officeを設立。'99年にDaB omotesando hair salonを開設。東京・表参道、代官山、銀座にヘアサロン、DaBを展開。高いデザイン性とテクニックを誇るヘアデザイナー集団の代表を務める。サロンワークを中心に活動し、多くのタレント、ミュージシャン、モデルなどに支持されている一方、国内外で行われるヘアコンテストの審査、各種のセミナー、イベントなど活躍の場は幅広い。インダストリアルデザイナーとしても、照明器具や家具、美容器具関連のブランディングやデザイン、さらに化粧品の開発及びディレクション等を手がける。著書に『PRO』『プロの方程式 BLOCK7』『HAIR DESIGN 7✕7』(すべて髪書房刊)
文・取材: 富永"トミー"修朗




